序 | 蒼穹と花弁と
我の始まりは視界いっぱいに拡がる蒼空。抜けるような蒼。
次に見たものは、そこを舞う幾枚かの白い花弁。
どちらもそのときは名も意味も知らない、
視覚に映る景色にしか過ぎなかった。
ただ、それらを眺めながら、ひどく身が震えたのを憶えている。
今にしておもえば。
我はそのとき、恐れ戦いていたのだと思う。
それまでは漠然とそこにあった世界。
どこまでも続く蒼空の広さと頼りなくそこを泳ぐ花弁の余りの細かさ。
突然に意識した世界の、
その余りの広大さに我は、
恐ろしさを覚え、戦慄に震えたのだ。
「どうして…どうしてこうなるんだ…」
「研ぎ士殿は何を嘆く」
「お前に、たくさんの血を吸わせてしまった…
こんなに、こんなにたくさん…
こんなつもりじゃ、なかったんだ、僕は」
「我は剣也
我の刃は肉を切り 骨を切り 血を吸う為に在る
君が何を嘆くのか 我には理解できない」
「…僕が、僕がお前を研いだのは、
こんなことさせる為じゃないんだ…」
「我は剣也
我の刃は肉を切り 骨を切り 血を吸う為に在る」
「ちがう!
ちがう!ちがう!ちがう!!」
「研ぎ士殿
君が何を嘆くのか 我には理解できない」
「お前の刃は、美しいから」
「 」
「僕がお前を研いだのは、お前の刃が欠けていたから。
許せなかったんだ。ひどい刃こぼれだった。
お前はせっかく美しいのに。
あんなに刃こぼれだらけで、それでもあんなに美しかった。
きちんと研いだらどれだけ美しいだろうって。
僕は、だからお前を研いだんだ」
「
我には 理解できな
「お前の刃は切る為のものだ。
触れたもの全てを切る為に在る。
そのとおりだ。お前の考えは正しいよ。
でも、僕は。
そんな当たり前のことを忘れてたんだ。
さっきまで、忘れていた」
「 研ぎ士殿 ?」
「僕は、馬鹿だ…。
研ぎ終えたお前が血を吸う事も考えず、ただ、お前を研いだ。
刃こぼれが無くなっていくのが嬉しくて…。
他のこと、考える余裕もなかったよ…」
「研ぎ士殿
君が嘆いているのは 我の刃が血に塗れたから?
我の刃が再び欠けたから?」
「……。
ちがうよ」
「?」
「さっき、お前を見つけて思い出したんだ。
お前の刃が肉を切る為に在ること。
骨を切り、血を吸う為に在ること。
そして思ったんだ。
血濡れで刃の欠けたお前は、何より美しいって」
「 」
「僕は、本当に馬鹿だ…。
刃こぼれの無いお前を望んで、あんなに必死に研いだのに。
それなのに、
いまは、血塗れのお前を、こんなにも綺麗と思っている。
こんなに血が流れて、こんなに命が消えたのに。
僕の研いだお前がたくさんの血を吸って、たくさんの命を消したのに。
僕はそれを綺麗だと感じてるんだ。なぜ。
なぜ、そんなふうに思ってしまうんだろう。
なぜ、そんなふうにみえてしまうんだろう。
…。
僕が悲しいのは、
そういうことなんだよ。
いまなら先生が僕を破門した理由もよくわかる。
僕の認識は、人としてあまりに邪悪だ」
「
研ぎ士殿
君は我を綺麗というが
我に我が身は綺麗と映らないのだ どうしても」
「…そうなのかい?」
「命を消す刃として生まれた我が
存分に命を消して血潮に染めたこの身をして
醜いと感じているのだ
怖気がはしるほど 例えようも無く醜いと認識している
きっと 我は邪悪だ
血濡れの我が身を美しいとする研ぎ士殿が人として邪悪であるのと同様
刃として 我は邪悪だ」
「……。
そうかもしれないね。
刃として生まれたお前が今のその姿を否定するのは、
刃としてはこの上なく邪悪なことなのかもしれない。
存在意義の否定は赦されざる罪悪だ。
けれど。
人としてなら。
その認識はきっと間違いじゃない」
「我は 刃だ
刃の命だ
ヒトの認識など 知らない
わからない」
「…。
僕が、刃であればよかったのに。
おまえは、人であったらよかったのに」