朝日が窓から差している。
「…んー…」
日差しを無防備な顔に浴びて。
少しだけ呻いて彼女は顔を背けた。
半分だけ目覚めた彼女は先ず、傍らに眠る筈の最愛の男の方に顔を向ける。
「…ん、ヴァルガ…」
だが、ベッドの上には自分以外居ない。
ここで働いているようだから、もう仕事に出たのかな、とあまり働いていない頭で考える。
「んぅ…ヴァルガぁ…」
男の姿を探そうとするが、それ以上に強い疲れと眠気。
睡魔が疑問やこだわりを全て押し流していく。
『…睡魔の魔法…ですか』
『そう。本来は疲れても仕事を止めないような人を強制的に休ませる為の魔法なんだ』
『ふむ…しかしよく寝ておるのう』
『普通の人間ならずっと継続して寝かせておけるんだけど…』
『けど?』
『エルフ相手じゃ保って一週間から十日ってところかな』
『ヴァルさんが目的を果たして戻られるのにはどれくらいかかるのでしょう?』
『どんなに早くても一月以上かかるねぇ。まあヴァルなら二週間もあれば現地には到着出来るだろうし、多分問題はないさ』
『…無事に帰ってきて欲しいものですね』
『…そうだね』
『うむ。わらわもグラウガン・ソードとやらを一振り欲しいぞよ』
「ん…くぅ…くぅ…」
微笑みを浮かべながら、イェリルは気分よく爆睡していた。
完全に覚醒した彼女が、ガルムの一言で絶叫したのは、この九日後の事だ。
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サラヴァラックの武神
第九話
エリュズニルを出てニ週間が過ぎた。
イェリルを置いて出た事、ロクに挨拶も出来なかった事。
し残した事は沢山ある。
「このままにはしておけないよな」
もう一度俺はエリュズニルに顔を出さなければならない。
「よ、と、とっと…」
猛竜の領土へ向かう六つ目の山を背にしてなお、足はますます軽い。
エリュズニルから人の姿の無い獣道をひたすら全力で駆け抜け、七獄と呼ばれるこの山脈に至ったのが三日前。
今日まで殆ど休みらしい休みを取った訳でもなく、もうすぐ七つ目の山も頂上に至る。
だが、疲れない。背中には13振りの剣を背負っている、ってのに。
こんなときばかりはダークエルフである自分の肉体をありがたいと思う。
山頂が見える。
猛竜の住処に最も近く、最も高い場所。
そこからならば、猛竜の領地が見渡せる。
一足に力を込めて、大きく跳躍した。
「おぉ…!!」
視界一帯に広がる、焼けた土の荒野。
この焦土が全てたった一体の生物によって作られたものだと、一体どれだけの者が信じるだろうか。
「魔王の領土…サラヴァラック平原…」
噂に聞いていたが、凄すぎる。
「あの何処かに…猛竜殿が居られる訳か」
彼には謂れの無い願いをする事になる。
心苦しいけど、それでも俺は止まれない。
「何百の冒険者達が栄光を得ようとして挑み、そして散った相手…」
そんな事を口に出した時。
ぞくりと。
背筋が震えた。
「…くっ。今日はここで野宿だ…な」
震えの正体は判っている。恐怖だ。
こんな状態じゃ勝てない。
気を落ち着ける為に小さく息を吐き、岩壁に背を預ける。
「今は眠って…、そして勝つ」
そう自分と、今もどこかで自分を見ていてくれる筈の、親父とお袋の魂に誓い。
恐怖を心の奥底に封じて、俺は目を閉じた。
さて、その頃エリュズニルでは。
「へぇ…。彼にはそんな気合の入った息子が居たんだねぇ」
「うん。僕が今までに会った中でも屈指の『いい男』さ」
「ふーむ…」
今日は特に客が極端に少なく。
今も唯一の客が、カウンターに座ってガルムと談笑しているだけだ。
どうやら客はガルムとは旧知らしく、ガルム自らがカウンターに座るよう促したのだ。
人間にも見えるし、エルフにも見える。
中途半端な耳の長さに、中性的な美貌。
どこかの王族だと言われても、万人が納得するであろう青年である。
「どうだろう?そのヴァル君が勝ったら『秩序』として迎え入れるのは」
「成る程。『水脈』と『火脈』が消えるなら番いで『混沌』と『法』を定めておくのはいいかも知れないね」
「番い?」
「そう。ほら、あそこの…」
と、指差した先ではイェリルがむすっとした顔で茶を飲んでいる。
「婚約者だそうだよ」
「ふむぅ…そうだねぇ。秩序を護るには法が必須だって言うし」
考え込む青年。
「取り敢えずヴァルに関しては君がその目で確認したらいいと思うね」
「うん。そうするよ」
「二週間前に出たから…急いだ方がいいと思うよ」
「おっと。急がないと見逃してしまうかもしれないな」
と、珈琲を飲み干して。
「ご馳走様。いつもながら美味かったよ、ガルム」
「ありがと」
「それでは皆さん、失礼しますね」
優雅に一礼して、店を出る青年。
「…全く、何千年経っても落ち着きのない奴だねぇ」
カウンターに戻るガルムのそんな苦笑には、店の中の誰一人として気付かなかった。
「ウィァー?」
―ああ、済んだかい?長兄。
「まあね。でもこれからもう一ヶ所ひとっ飛びして欲しいんだけど」
―えぇ!?まだ何かあんの!?上空でダチが待ってるんだけどなぁ。
「そうは言っても君のスピードじゃなきゃ間に合いそうにないんでね」
―…どこよ、それ。
「サラヴの所」
―げっ!!兄貴のトコ行くの!?
「そ」
―だって少し前に行ったばかりだって言ってたじゃないか。
「ラザムの倅がサラヴに挑むんだそうだ」
―…なんだって?
「ラザムが末弟を封印した剣が持ち去られてね。それに対抗出来る魔剣が欲しいんだってさ」
―へぇ。それは中々面白そうなカードだね。
「やっぱりそう思うよな?」
―おっけ。乗りなよ。
「悪いね」
―ま、レースも大事だけど、それ以上に僕もあの兄貴がへこまされるところを見たいからねぇ。
「だろ?」
―さて、飛ばすよ!しっかり掴まっててくれよ!!
この大陸の西の端から船で一週間程行ったところに、一つの島がある。
そこに在る、城。
三年前まで名君と称された人の王が座していたこの玉座には、今は黒い髪の青年が傲然と座っている。
デル・ギオルグ・ダ・ウィーレンクラウス。
亜人の王。彼と、彼に従う亜人の住まうこの国は、三年前から亜人だけが生きる事を許される国へと変貌していた。
彼の名を知る人類は居ない。
彼を見た人間は、老若男女の区別なく、一部の例外もなく。全てが引き裂かれ、食い千切られ、無残な肉塊へと変えられているからだ。
それでも強いて彼を異名で呼ぶならば、後世にはこう伝えられるだろう。
『憎悪の魔王』
と。
続きます
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上記テキストは 2004年4月10日滑稽さま に頂きました。
ありがとうございます。
雨傘日傘
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