哮竜ウィーヴァーは世界で最も速い神獣だ。
ヴァルもまた馬で一月以上かかる道を十日程度で走破し、更には険しい山道を軽々と駆け登る。
しかし偉大なるスピード狂、雷と雲海を司るこの竜は、それ程の距離をおよそ一晩で飛ぶ事が可能だ。
―長兄。そろそろ七獄山脈だよ。
「そうだね。…間に合ったかな?」
―僕を舐めてもらっちゃ困るね。これでも最速の看板を掲げているんだぜ?
それには答えず、青年はきょろきょろと眼下を見下ろしている。
「どれどれ…。まさか来た瞬間焼き殺された、って事はないと思うんだけど…」
と、暫く経って。
「お、見つけた」
―どこだい?
「ほら、あそこの岩肌。…おや、寝てるよ。豪気だねぇ」
―お、ホントだ。ま、あの兄貴に一人で挑むんだったらそれくらいの気概は必要だと思うけどさ。
「確かにねぇ…。あ、起きた」
―あ、いけね。それじゃ隠れないとまずいな。
と、ウィーヴァーは自分の周りに厚い雲を呼び、自分の体をすっぽりと隠した。
―風が吹くと厄介だからちゃんと遮ってくれよ。
「了解。ダークエルフ対竜のタイマンなんて、そうそう見られるもんじゃないからね」

---------------------------------------------------------------------------------------------------------

サラヴァラックの武神
                      第十話

目が覚めると、日がちょうど地平線から出てくる所だった。
「おお」
綺麗だ。寝ていてもなお昂揚していた心が、不思議と落ち着いていくのを感じる。
「さて…先ずは準備、っと」
世界の根幹に根ざす存在が相手だというのに、行き当たりばったりで行くほど俺も酔狂じゃない。
…まあ、師匠の剣がなかったら、俺の剣で一撃必殺を狙うつもりで居たのだけれど。
とにかく、先ずは師匠の用意してくれた中で唯一の大剣を置く。
最初はこれを使うつもりだ。
取り敢えず。持っている剣は師匠には悪いが全て捨て駒だ。
「でも、これって確か『クルェ・スルス』だよなぁ…」
師匠が生涯一の名剣だと認めた逸品。それが無造作に含まれていたんだから、驚いた。
最初は似たような一本かとも思ったけど、抜いてみたら本当にそれだったからなぁ。
師匠の事だから、
「こんなもん俺の実力ならまた何本でも作れる。いいからミスリル屑にしちまいな」
とか言いそうだけれど…。
「それでも、弟子としては壊せないよなぁ…」
実際、師匠の呉れた中でこれが一番切れ味がいいのは確かな筈だ。
これは切り札。うん、決めた。
「さて…、コレで良し」
取り敢えず数本を左手に携え、俺の剣は肩に、クルェ・スルスは腰に差し。
「さ…行こうか」
俺は山を一気に駆け下りる。
焦土の荒野の主、猛竜サラヴァラックに向かって。


彼が最初に気付いたのは、同族の気配だった。
上手くカムフラージュ出来ているが、同族だ。気配くらいは判る。
―…何をしているんだ?
ここから少々離れた山の上。
そこに雲を纏って滞空したまま、動こうとしない。
寄っていって声をかけてやろうかとも思ったが、それは止めた。
そう言う気分ではなかったのだ。
と、次に、その下。熱気の所為で荒れ果てた山肌を、飛び降りるかと思える程に凄まじい勢いで駆け下りる一つの小さな物体が目に留まった。
―あれは…人?いや…
遠目が利く、と言うほどでもない彼に、それを確認は出来なかったが、少なくともそこを人が下りる理由は一つしかない。
自分を狩ろうというのだ。
しかも一人で。
―ふむ…。これほどの命知らずに遭ったのは何百年振りかな…。
基本的にそういう性根は嫌いではない。
だが、今は時が悪いと、自分でも自覚している。
友の死を割り切れず、怒りが深奥で燻っている今は。
―あの体捌き…ダークエルフか。
息を吐く。熱風が湯気となり、辺りを白く染め。
―まあいい。来るならば、焼くまでだ…。
彼は思考を止めた。

---------------------------------------------------------------------------------------------------------

「はぁ…」
エリュズニール。
イェリルの目が覚めたのは、ヴァルが出てから十一日目だった。
どう足掻いた所でもう到着前に追いつくことは出来ないし、今出たとしても、途中で再会出来なかったらヴァルが死んだ事を意味する。
それを確認出来る程の心の強さは彼女にはなく。
結果、窓の外を見ては溜め息をつく、という生活を続けている。
「ヴァルガ…」
最早自分に出来る事は彼の身を案じる事だけ。
「…また見事に自分の世界に入り込んでるねぇ…」
「うーむ…毎日毎日飽きぬものよのう」
「まあまあ。それだけラザムさんの事を愛しておいでだという事ですよ」
「ヴァルさんなら大丈夫だと思いますけどねぇ」
「…そうだね」
周囲の会話など耳にも入らない。
イェリル・リユニス。
彼女は今、恋人の帰りを待つ深窓の令嬢真っ只中だった。

---------------------------------------------------------------------------------------------------------

熱い。
焦土と化した大地からの熱気か、それとも猛竜殿の体熱がここまで温度を高めているのか…。
とにかく、急ぐ。
正直、ここに居るだけで体力が磨り減っていく。
一時間程走っただろうか。
視線の先に、巨大な赤黒い塊が見えた。
「…あれが、か」
やはり剛竜殿と比べたらその体躯は小さい。
だがそれでも、小規模の山くらいはありそうだ。
「気合入れて、行くか」
さっきよりも脚に力を込めて、駆け寄る。
その真下。
鼻からゆったりと湯気を吹き出し、目は閉じていてこちらを確認しようともしない。
無論、気付いてはいるのだろうが。
「猛竜殿」
呼びかける。
返事はない。
「猛竜殿」
―…何だ。
今度は返答が。
「貴方に挑みに来ました」
―ダークエルフ。挑みに来たのならば有無を言わず不意打ちでも仕掛ければよかろう。
「そうは行きません。貴方には俺の魔剣となってもらわなければならない。だから不意の攻撃などをする訳にはいかないんですよ」
―ふん。貴様如きが魔剣作りの秘法の何を知っていると吐かすか…っ!?
目を怒りに見開いた猛竜殿の動きが、俺の顔を凝視して止まった。
―ラ・ラザムッ!?
とても驚いた様子だ。
成る程。ガルムさんも間違えたようだし、やはり俺はそれ程親父に似ているのか。
自分では気付かなかったんだけどな。
「…親父を、ご存知なんですね」
―親父…?そうか、お前はラザムの…。
「息子です」
―おお、おおおおおっ!!!
喜色に声を震わせ、吠える猛竜殿。
「親父の誇り…。暴竜の魔剣リヴィアタンを持つ者を征し、親父の魂に安らぎを返さんが為、俺は貴方を乗り越えねばならない」
それを聞いた猛竜殿が口許を嬉しげに歪めたように見えたのは、果たして俺の見間違いだったのだろうか。
―ラザムの倅。
「はい?」
―お前は父の魂を真っ直ぐ受け継いでいるようだ。
「…有難う御座います」
―後はお前の父の技術をお前がどれだけ継承しているのか。ダークエルフなる己に溺れ、自らに慢心しては居らぬか。そして―
がばぁ、と。
―俺なる魔剣の使い手に相応しい強者かどうか、判断してくれようッ!!!
猛竜殿はその巨体を起こした。
―来るがいい!ラザムの倅!!!!
「全力で…行きます!!!!」
俺は大剣を持つ手に力を込めた。


続きます


 



--------------------------------------------
上記テキストは 2004年4月17日滑稽さま に頂きました。(06/12改訂)
ありがとうございます。
雨傘日傘