憎悪。
彼が人間を憎悪したのは、彼の住む里を人間に攻め滅ぼされた時。
父を眼前で殺され、母や仲間や婚約者とはぐれ。
妹と二人、焼かれた里を見下ろした時に。
彼は誓ったのだ。
全ての人間を、打ち滅ぼしてやると―



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サラヴァラックの武神
                      第二十二話


「殺してやる」
「何で復讐者の俺より殺意満々なんだ、アンタ」
何だか目の前の仇の姿を見ていると精神的に萎えていく気がする。
「…まあ、いいや。アンタに心を弄ばれたお袋の無念、晴らさせてもらうとするかね」
ごう、と。
サラヴが猛った。
「その剣…」
「ん?…ああ。別にアンタを殺す為に用意した訳じゃない」
「…まさか、な」
勝手に自己完結する男。つくづく人の話を聞かないようだ。
「精霊よ!!」
ざぁ、と。
かなり大量の精霊が男の周りに集まる。
流石エルフと言ったところだ。
「奴を殺せ!!…惨たらしく、な!!」
群がってくる精霊達に向けて、
「かっ!!」
大喝を入れる。
と、空気が震え。
「うわ!?」
男が圧力に膝をつくのと同時に、精霊達が吹き飛んだ。
「俺に精霊をけしかけた所で、通用しないぜ?」
何となく、判っていた。
精霊・神獣の駆使と魔導を武器とするエルフは。
いや、エルフでなくとも、魔法では俺には勝てない。
ダークエルフの天敵は魔法や精霊・神獣による肉体のキャパシティを超える『力』だ。
だが。
サラヴの主となってその加護を得た俺には、最早殆どの魔導が届かない。
俺に力を届かせる事が出来るのは、同等以上の神獣だけ。
人やエルフがあくまで『使役』する神獣では、断じて勝てないのだ。
「何故…」
「精霊が怯えるのさ。自分の目の前に居るのが何者か、って事を理解して…な」
「馬鹿な…っ」
慌てた様子の男。
「貴様…ただのダークエルフではないのかっ!?」
「まぁね」
「だが、切り札はまだあるっ!!」
と、男はその精霊を呼び出した。
「ハウンティム!!」
瞬間、意識に突如何かが割り込んだ。
―ヴァル!?
笑いながら、父を解体していく母の姿―
悲鳴を上げる事無く、生きたまま母の手にかかっていく父―
首筋を締め上げられる圧迫―
そして。
自分の拳で打ち砕いた頭蓋の感触―
意識の奥に仕舞いこんでいた『あの日』の記憶が、表層でリフレインされる。
思い出して、しまった。
「ふ。何度でも繰り返してやる。そして貴様は心を壊し―」
男が何かを言っている。
だが、ああ。
憤怒が、加速する。
「ああ、くそ…。感情に流されないようにしてた、ってのによ…」
ぎりぎりと、歯を軋らせる。
―ヴァル。これが…真相か。
「そうだ。畜生…。思い出したくなかったんだぜ?」
―判っている。しかし…悪趣味な奴だな。
拙い。
何となく、判った。
例えこの記憶を何度掘り起こされようと、一度乗り越えた以上、俺は狂わない。
だが、しかし。
油を差された憤怒が視界を真白く染めた―
「ゆる…さんぞ…」
ごう、と。
全身から火焔が吹き上げた。
比喩ではない。
完全に、吹き上げた。
「な、なんだ…!?」
俺の異変に、目の前の生き物がたじろぐ。
ああ、そうだろう。
「貴様…一体…!?」
知りたくもなるだろうな。
―我、『火脈』を司る神獣、猛竜サラヴァラックをその体技のみにて打倒せし者。
「さ…サラヴァラック!?まさか…貴様!?」
―そう。我が主として、神獣の位に届きし生命。
「秩序の一端。混沌を司る…俺の名はデル・ヴァルガ・ラザム」
「ひ―」
―煉獄の奥を垣間見た、貴様の精霊は燃え尽きて消えた。
「塵一つ…残さん。てめぇはまさしく―」
―我等の逆鱗に触れたぁ!!
サラヴの刀身も炎を吹く。
「う、うあ―!」
「クルーアリー・フレア!!」
間合いを詰めるまでもなく、大量の炎を乗せたサラヴを振り下ろす。
十メートルほど離れていた男へ向かって、火弾が飛翔する。
「くそ!!」
魔力の壁を無数に作るが、逸らす事も止める事も最早適わない。
片端から壁は砕かれ、男に迫る。
「く…ならば!」
と、突如烈風が吹き、男の体が宙に舞った。
魔力の壁は少なからず時間稼ぎにはなったらしい。
「お、覚えていろ!!必ず貴様を殺してやる!!必ずだ!二度目はないぞ!」
そのまま男は窓から外へ飛び去って行った。
―…愚かな。
サラヴが僅かに憐憫を乗せて呟く。
火弾は相手を失って、そのまま壁に着弾した…訳ではなく。
そのまま制止していた。
己の勢いを維持するかのように空中で回転し続け、そして。
ある瞬間、再び凄まじい勢いで動き出した。
「捉えたか」
―ああ。神獣の本当の怒りから、逃れられる者など居らぬよ。


空中。
風の精霊の力を借りたザジェは、恨み言を呟きながら天空を駆けていた。
「畜生…畜生!また一から出直しだ!」
あれ程の化け物が存在したとは。
いや、あの時殺さなかったダークエルフが、これ程に育っていたとは。
「混沌の神獣だと!?冗談じゃない。本物の神獣相手に戦うなんて無茶―!!」
と。
いきなり飛ぶ速度が遅くなった。
「…なんだ!?」
既にユグドの国土は越えている。
途中、巨大な竜が見えたのでその視界に入らない方向に飛びはしたが(間違いなく味方ではありえない)、それが追ってきたと言う訳ではないだろう。
少なくとも、その竜は違う方向を向いているのが見えている。
と、不自然な熱を感じて、ザジェは斜め下を見た。
「ひ―!?」
掛け値なしの、恐怖の音が口から漏れた。
先程の、火球だ。
追ってきたのか、次のを撃ったのか。
それは判らないが、少なくとも自分を追尾している。
そしてそれは明らかに自分との距離を縮めている。
「くそ!ウィンディア!!もっと加速だ!あれを振り切れ!!」
だが、やはり速度は落ちていく。
事ここに至り、やっとザジェは理解した。
間違いない。風の精霊は自分を見捨てた。
意外と義理堅かった残りの精霊も、心中を嫌がって程なく自分を見捨てるだろう。
「い、嫌だ―」
と。
何かに放り出されるような感覚。
風の精霊の全てが、彼を放り出して逃げ出したのだ―
「嫌だ!いやだいやだいやだいやだ!ウィンディア!助けて!リガーラでもユガルダでもシブルドでもいい!!頼む頼む頼む!俺を―」
放物線の落下と同じ軌跡を自分の体は描いている。
死ぬのは炎に焼き尽くされてか、水に直撃して四散するのかの、どちらか。
そんな事をほんの少しの冷静な部分で感じながら。
「助けて―」
結局ザジェの体は、飛んで来た火弾に飲み込まれて消えた。


暫くして。
城内を奥へ進む俺の耳に。
遠く、ドウン、と。
何かが爆発する音が聞こえた。


 



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上記テキストは 2004年11月21日滑稽さま に頂きました。
ありがとうございます。
雨傘日傘