ごり、ごり。
「…」
「悲鳴も上げぬか」
刃先で男の氷漬けになっている腰骨を削っていた王は、既に生気を喪ったそれに対してひどく冷めた視線を向けた。
「ふん」
無慈悲に剣を振り上げると、引っ掛けられた『それ』も勢いのまま中空に舞う。
ぐじゃり、と。
天井に激突して絶命した男。
「…ふむ。何時の間にかここの人間を全て殺してしまっていたのだな」
見回せば、玉座の間には百を超える死体の山が。
「…では新しいのを調達させるとするか」
王は手持ちの鈴を鳴らした。
だが、何の反応もない。
「ふむ?」
と、玉座が揺れた。
「…何かあったのか」
だが、程なくそれも鎮圧されるだろう。
有能な側近がここには居るし、そして自分にも覇者の剣がある。
王は自分の勝利を疑わず、そして。
「仕方ない…」
王は立ち上がり、そして。
ずぶり。
まだある程度人型を維持していた死骸に向けて刃を振るい始めた。


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サラヴァラックの武神
                      第二十三話

時間は少し遡る。
ユグド王城へ続く街道。
二人の戦鬼が凄まじい戦闘を続けていた。
周囲を取り巻く亜人は既に戦意の殆どを喪失している。
それ程に彼等の激突は常識外であり、少なくとも手出しをしようとした亜人は、次の瞬間には肉片と変わって彼等の元へ戻ってきた。
「てぇありゃああああ!!」
彼等の激突は純粋に体術である。
火力が介在する余地はない。
何故なら、その片方―ディールの戦術の根本は体術であり、一対一の戦闘に於いてそれが最も恃むべき要素であったからだ。
逆説すれば、使い慣れない火焔の力を振るえる程の余裕が眼前のダークエルフに対しては持てないとも言えた。
現在ディールが恃んでいるのは自らの体術とヘビー・パーツの肉体活性の効果のみ。
「…」
二人の戦力は拮抗していた。
まさに互角である。
そして、この状況下ではどちらにも決定打が出せないのは明白だった。
焦りの表情を見せる男。
このままやっていても結局決着はつきそうにない。
「…名前を、教えて頂けますか」
「…デル・イジゥ…。貴方は」
「ディール…。そう、私はただのディールです」
「ディール…か」
「ええ。焙煎喫茶エリュズニルのウェイターなどをしております」
「ふむ」
「戦うウェイターさん、というのもそれなりにおつなものでしょう?」
「そうかもしれないな…」
ディールは構えを解いた。
「もしもこのような場所で出会わなければ、私達は友人になれたかもしれませんね」
「…どうかな。俺は…ダークエルフという種は破壊する事しか出来ない」
「どうでしょう。私の友人にもダークエルフは居ますが、彼はその力を他の事にも役立てていますよ」
「…そうか」
ふわり、と笑みを漏らすイジゥ。
と。
ぐしゃあ!
「お前達は邪魔だ」
ディールに背を向けると、亜人の群れを殺戮し始めた。
呆気にとられるディールには目も呉れず、とにかく周囲を取り巻く亜人を瞬く間に殺し尽くした。
「…これでいい」
「貴方は…」
「いい戦をさせてもらった。これだけ心震わされたのは久々でね」
「…まさか」
「なに、ちょっとした感傷だ。俺に勝てた貴方が、こいつらの手にかかる事のないように。そして…貴方に勝った俺が、奴等の行うであろう見苦しい悪逆を貴方の遺体に行うのを見ずに済むように、な」
突然饒舌になった、イジゥ。
「貴方は…何故このような…?」
「俺には生まれた頃から人の世に居場所がなかった」
「何ですって?」
「俺を育ててくれたのはまた異なる亜人の父だ。彼の死と共に俺は世界に居場所を求め…そしてここは俺を受け入れてくれた」
「人間はやはり…貴方を」
「ああ。俺がダークエルフであるだけで忌避された。貴方のような人間も居るなんて、俺には新鮮な驚きだよ」
「そういう人間は私だけではありません!!」
「そうだろうな。少なくとも貴方の目を見ればそんな実感が沸くよ」
「ならば―」
「…だとしても、俺には彼等への義理がある。それを無視して貴方と共に行くつもりは…ない」
つくづく、無骨だ。
そして、好ましい。
「ホントに…。貴方とは別の場所で会いたかった」
「お互いに」
ディールは徐にヘビーパーツを取り外し、地面に落とした。
そして懐から一粒の金属塊を取り出し、それをイグニート・ヴァンヴレイスの右手の甲の部分に押し込む。
と。
当てた部位から紅い紋様が浮かび上がった。
じわじわと、それが篭手全体に広がっていく。
程なく右のヴァンヴレイスは真紅の紋様に彩られた。
「イグニート・ヴァンヴレイス最後の切り札。カウンター・デバイス」
「…ほう」
と、イジゥが恐ろしいスピードで吶喊して来た。
「はぁ…!」
全身の力を抜き、その一撃を見切る事に集中する。
かつて見た、暴悪の化身。
プリースト・サジク。
その暴威とは比べ物にならないほど強く、そして鋭い一撃。
それを受けた右のヴァンヴレイスが、重く軋む。
「ぐううっ!!」
右足を退げて腰を回し、その勢いの向かう先を横にずらす。
勢いは竜の外皮に吸収されて最早死んでいる為、ディールは渾身の力で体を崩されたイジゥの体を蹴り飛ばした。
「一つ…」
ずがぁん、と音を立てて踏みとどまり、振り向き様の裏拳を見舞うイジゥ。
それをやはり右篭手で受け、今度はその拳を自分の体の方へと流す。
びりびりと感じる衝撃に耐えながら、拳が体触れる前に自分の体勢を入れ替えた。
空を切って踏みとどまるイジゥの後頭部に、今度はディールの裏拳が―。
「がふっ!?」
延髄を強かに打たれ、今度は動きを止めるイジゥ。
「二つ」
「やるな…。先程の力任せとは違う。…これが貴様の本来か」
「ええ」
感嘆するイジゥ。
だが、次に表情に貼り付けたのは憐憫だった。
「だが…残念だな。惜しむらくは威力が足りない。恐らくはその武装の出来が良すぎるのだろう?俺の与えた衝撃を利用する前にその衝撃を吸収しつくしてしまう」
ご明察だ。
確かに衝撃を吸収するこの鎧では、ディールの体術の本来を引き出し尽くす事が出来ない。
故にヘビーパーツを駆使しての戦闘スタイルに変えていたのだが。
「人間の純粋膂力では、俺の動きを寸断する事は出来ても致命打は打てない」
そう。
ディールの体術とは、つまりそういった一種の諸刃の剣だと言える。
「その通りです。普通の相手ならそれでも良かったし、並のダークエルフならあのパーツで互角の殴り合いが出来る筈でした」
ヘビーパーツ唯一の欠点。
それは怪力を得る代わりに、ディール本来の繊細な技術を使う事が出来なくなる事だった。
重厚なパーツで破壊力と同時に防御力を補填する。それはつまり相手の衝撃を受ける瞬間を計り難くする欠点を持ち。
瞬間の衝撃と撃点をしっかりと見切ることが出来ない上でのカウンターなど、その威力は高が知れているというものだ。
「ふむ。それは俺への賛辞…なのかな?」
「ええ。それはもう存分に」
ヘビーパーツを外せばカウンターは可能だが、今度はイグニート・ヴァンヴレイスの内側に張られた竜の皮が衝撃の大半を吸収し、著しくカウンターの反撃効果を減退せしめてしまう。
無論普通の人間や亜人の攻撃であれば、そのカウンターでも十全にヴァンヴレイスの硬度で補填が出来るのだが、ダークエルフの桁外れの膂力相手ではそうもいかない。
「まあそもそもこの鎧でなければ、貴方の最初の一撃を流した時に腕の方が壊れてしまっていたでしょうが、ね」
そう。それほどにイジゥの一撃は凄まじい。
享楽に溺れたサジクなど目ではない、まさに『野生』に近きダークエルフの力。
「ですが…。私にこの鎧を仕立ててくれた方は、そんな規格外を相手にする事も見越してこの切り札を用意してくれていました」
と、右腕を掲げるディール。
紅い紋様は相変わらず篭手全体を包んでいる。
「そうか…。その男もまた、貴方にとっての『繋がり』なのだな」
心底眩しそうに、羨ましそうにするイジゥ。
「貴方と同じダークエルフの方ですよ。鍛冶師なのだそうです」
「へぇ…」
「では、決着をつけましょう」
「ああ」
とても簡単で、軽く交わされる最後の会話。
「…っ!!」
ディールの目には、それは『槍』として映った。
「三…つぅぅぅ!!」
重すぎる、イジゥの渾身の右ストレートをあくまで右篭手で受けたディールは、
「はっ!!」
大きくイジゥの方へ体を踏み込ませ、更にそこから背を向けた。
「…!?」
その際に勢いをずらされたイジゥの無防備な右腕を両手で引っつかみ、腰を跳ね上げて投げる。
何度かバウンドした体をあっという間に落ち着け、イジゥは立ち上がった。
やはりダメージはないらしい。
あくまで全力。
再びこちらに凄まじい速度でやって来るイジゥ。
「ダークエルフからの致命打三撃…。これでっ!!」
右拳を強く握り絞めた。
途端、紋様が煌々と紅い光を放ち出す。
間髪入れずに叩き込まれるその二度目の右ストレートを、今度は左で受け流す。
そして。
「はあああああああああああああっ!!」
その無防備になった腹に目掛けて、ディールは渾身の右拳を打ち込んだ。
がぼぉん!!
「ごぼぉ!?」
左手に受けていた重さが、一瞬で消えた。
右腕を勢いに任せて振り抜くと、イジゥの体はそのまま地面を何度もバウンドしてやっと止まった。
「ぜぇ…ぜぇ…」
息が荒い。
イジゥはぴくりとも動かない。
いや、動けないだろう。
ディールはここに来る前、ヴァルに説明された内容を思い返していた。


耳元に口を寄せて、小声で説明してくるヴァル。
「これはですね。右のヴァンヴレイス専用の装備です」
こちらの質問は許さないまま、ヴァルの説明は続く。
「イグニート・ヴァンヴレイスの本来の性能では、ダークエルフの攻撃を返してもその衝撃吸収力が災いして然程効果的なダメージは与えられないかもしれません」
最初に説明を聞いた時から、それは懸念していた。
「ヘビーパーツでダークエルフ並の膂力は得られるようにしてありますから、こいつはそれでも対応出来ないような強敵に会った時用ですね」
あらゆる状況を考えていてくれたヴァルの心遣いが、嬉しい。
「これを右の手の甲の辺りに押し込んでください。そうするとカウンター・デバイスが出てきます」
―今考えれば、あの真紅の紋様だろう。
「そのデバイスは右のヴァンヴレイスで受けた衝撃をデバイス内に溜め込みます。撲り付けた反動でも溜めてくれます」
残念ながらヘビーパーツとの兼用は出来ないんですが、と前置きしつつも、
「三回までの衝撃保持は保証出来ます。それ以上になるとデバイスが破損して一からやり直しになる可能性が出てきてしまいますので、三回が安全圏ですね」
懇切丁寧に説明してくれるヴァル。
「それで吸い込んだモノを拳に乗せて打ち込んで下さい。瞬間の解放で乗算された衝撃が倍化されて叩き込まれます」
だが。
ふいに、ぞくりと。
サジクと最後に戦ったあの日、横合いから感じたえも言えぬ戦慄。
それによく似た何かを感じた。
「すごいですね…」
威力か、戦慄か。どちらが凄いと思ったのか自分でも判らないまま、その時自分はそう口にした。
「覚えておいて下さい。カウンター・デバイスから放たれるその望外の一撃―」


「カウンター・インパクト。動かない方がいい。…いや、動けませんか?」
「これ…が…切り札」
「ええ。貴方から食らったあの衝撃を溜め込み、打ち込みました」
「嘘だ…」
イジゥに近づいたディールは、改めてその威力の凄まじさに息を呑んだ。
「たとえ全力でも…。俺の拳三発程度の…威力じゃ…こんなダメージにはならん…」
「三発までという限定条件つきですが、衝撃を溜めた分だけ乗算されるそうです」
紋様は打ち込んだ瞬間砕け散った。金属塊は無事だったので、外して懐に入れる。
「だからか…が…は…痛ぅ…」
打ち込んだのはイジゥの左脇腹。
無論そこもかなり酷い状況になっているのだが、むしろ特筆すべきは衝撃が留まった右半身だ。
左の脇腹は完全に筋肉が寸断されている。衝撃が余す事無く伝わった証拠だろう。
そして。
衝撃はイジゥの背骨を完全に打ち砕いてなお止まらず、血管や骨を砕きながら浸透したに違いない。
右半身は内部から弾けた様に赤黒く染まっており、指一本さえも動かせないように見えた。
「これだけの衝撃の反動が…腕が外れた程度ですか。つくづく空恐ろしいですね…」
取り敢えず肩を填め込む。
「ぐっ!」
痛みはあるが、それは大した事ではない。
拾い上げたヘビーパーツを再度装着させながら、取り敢えず戦闘の終了を確認して安堵の息を吐く。
「はぁ…。さて」
ディールはイジゥの体を抱き上げた。
「な…にを…?」
「貴方はここで死なせるには惜しい」
本心だ。
ヴァルの故郷、ア・ミスレイル。
あそこならきっと彼を受け入れてくれる筈だ。
孤独である悲しみを知っているこの男なら、きっと。
「無理…だ。致命傷なのは…判っているだろう…?」
「ゴキブリみたいな生命力でなんとか生き延びてみせなさい」
「ひどいな…」
「死んだら死んだで、ちゃんと墓を建てて差し上げます。こんな場所で野ざらしにして朽ち果てさせるのは、戦士としての私の矜持に反しますから」
最後の言葉が効いたのだろうか。
「…礼を言う。人間の勇者よ」
そういって顔を背け、イジゥは口を噤んだ。
「では、行きましょうか」
ディールはそれだけを告げると、走り出した。
イジゥの行動が、余計な体力を使わないつもりでのものだと信じて。


その扉を開けた理由は、特にはなかった。
強いて言えば、妙な予感を感じて、とでも言おうか。
そして、そこには。
「初めまして、勇者様」
淡い色のドレスを着た金髪の美女が恭しく俺に一礼をした。
「あ…貴女は?」
「私の名はユーヤ・フルタス。貴方様が先程屠って下さったエルフの妹です」
その瞬間、何故か俺は自分の中の何かが強く落胆したのを感じた。

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上記テキストは 2004年11月23日滑稽さま に頂きました。
ありがとうございます。
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