わるいゆめをみていた。
とてもとてもわるいゆめ。
じぶんがすごいちからのばけものになって、いろいろなわるいことをするゆめ。
じぶんがなにかだいじなことをわすれてしまって、いろいろなひとたちをにくんでしまうゆめ。
そして。
なにかにとじこめられて、つめたいどこかでふるえているゆめ。
「ここ、どこ?」
いつのまにかゆめはさめて。
ぼくはいま、あるいている。
どこへむかっているのか、なんであるいているのかもわからないけど。
「…おいおい、本当に忘れちまったのかよ」
「あなたは?」
目深にローブをかぶったおじさんが、やっぱりいつのまにかこっちを見ていた。
「あ?おいら?おいらはねぇ、水先案内人ってやつ」
「みずさきあんないにん…」
何なんだろう?
くるくるとぼくの周りを回りながら、おじさんはじこしょうかいをしてくれた。
「それで…坊主?おまえさんの罪状は?」
「ざいじょう?」
落ち着かないおじさんだけど、僕が首をかしげると、僕の目をじっと見つめてきた。
なんか怒ってる?
「だあ、あんの馬鹿!よりによってそういう記憶を使い潰しやがったのかよ!!」
「わ!?」
突然顔を離して、空中で地団駄を踏むおじさん。
…器用だなぁ。
「ああ、くっそ!!自分のモノじゃないからって好き勝手使いやがって!?リヴの野郎、後できっちり折檻してやる!!」
取り敢えず、僕に怒っているんじゃないらしい。
「ああ、悪いな坊主。取り敢えずお前さんは無罪だわ。良かったな?神獣サマがお前さんの罪をすっかり引っ被ってくれたんだ。感謝するんだぞ?」
「うん」
よくわからなかったけど、頷く。
「さて、んじゃお前さんの行く場所を教えてやるぞ?」
と、杖を差し向けた先に。
その人は居た。
優しい笑顔で、僕に向かって手を広げている。
―ギオルグ…。
その瞬間、僕は色々な事を思い出した。
ああ、僕は何故忘れていたのだろうか。
貴女の笑顔を。
慈愛に満ちて、常に自分に向けられていたその笑顔を。
それさえ見ていられれば、僕は幸せで居られたのに―
「かあさん…」
―おいで、ギオルグ。
「うん、かあさん」
暖かい。
ああ、なんて暖かいのだろう…。
「…ま、せめてもの手向けさ。迷わず昇りな、ギオルグさんよ」



サラヴァラックの武神

          第三〇話 『よっ』
突然かけられた声に、俺はそちらを向いた。
「あんたは?」
『死の世界とこことの水先案内人!アンバイス様とはおいらの事さッ!!』
ローブを目深に被った男。どこから現れたのやら。
―よう、アンバイス。
サラヴが応対している以上、取り敢えず言っている事は間違いじゃないらしい。
とは言え。見た目はそういう存在としては合格なのだけれど、その軽い口調が激しくそれに似合わない。
『悪かったねぇ、似合わなくて』
「読むなよ、悪趣味な」
うわ。動じないよ、俺。随分俺も順応してきたものだなぁ。
「で。俺に何の用さ?」
『ん?ああ、新しくこの世に生誕した神獣のお仲間に一足早く挨拶をね』
「あ、うん」
『よろしく、ヴァルガ公。混沌を司る神獣殺しの神獣。ま、無闇に神獣を殺したりしない事を願うよ』
「そりゃ、勿論」
『おっけ。それだったらおいらからあんたさんにお願いする事はないよ。これからもちょくちょくお仲間が訪問するかもしれないから、まぁ、適当に覚悟しておく事だね〜』
「はいはい」
えらく喋るなぁ。
―それだけじゃないだろう。
ひどく剣呑な声を上げるサラヴ。
「どうしたんだ?サラヴ」
―こいつは死と裁きの神獣だ。死んだ者の罪と罰を判定し、その進むべき道を決める。
「という事は…」
『そ。ここで死んだ全ての者の魂を判定しなくっちゃなんないのよね、これから』
「あれま」
―普段はわざわざ出てこないんだがな。それだけ多くの命が潰えたって事だろう。
「そうかぁ…」
『気にしなくていいよ。あんたさん達が来なかったら、この数百倍の被害があっただろうって概算出てるから』
「数百倍?」
『そ。あと二年以内にここの連中は大陸へ攻め込んだ。半年もしないうちに大陸の人口は随分減ったはずさ』
「…それが判っていて、どうして」
『神獣にもルールはあるのさ。因果がない限り、自分達から大陸の歴史に介入してはいけない、ってね』
―バルクートの兄貴とか、例外はあるけどな。
『あの旦那を止められる奴なんているもんか。あんまり過剰に手出ししないから黙認してるだけだよ、みんな』
―まあ、なぁ…。
二人の口調が重い。
ガルムさんと同じ匂いを感じたが、やっぱりか。
苦労してるんだなぁ…、世界的に。
『まあ、いいや。取り敢えずそろそろ大陸が沈むからさ、帰る準備をして欲しいんだけれども』
「おう…って、沈む!?」
『当然じゃないか。あれだけあんたさん達が暴れまわったんだし、それで陸地が無事だったらそっちの方が驚きだよ』
「あっちゃー」
思った以上にやりすぎただろうか。
―まあ、俺達以外の存在はここにはもう居ない。問題はないだろう。
「そうかぁ?」
とてもそうとは思えないんだが。
『取り敢えず、とっとと行っちゃってくれ。ここの魂を集めておいらも帰るから』
おや、意外と真面目だ。
「わかったよ。サラヴ!」
―おうよ。
と、巨大な炎の竜が再び現れる。
『ああ、そうそう』
乗り込んだ俺に、声をかけてくるアンバイス。
『ギオルグ王は無罪になったよ』
「…へぇ?」
凄まじく予想外だ。
『やっこさんの記憶はもう殆どが破壊されててね。生物の魂として再構築したらひどく小さな子供になっちゃってさ』
「ふむ」
『それでまあ、罪は全部ザジェ・フルタスとリヴィアタンに被ってもらうことになって、彼は無罪放免でお母さんのところへ』
「ザジェ…、ザジェ?」
誰だっけ。
『あらま。報われないね、彼も。…ま、いいや』
向こうの話は終わったらしい。背を向けて何か呟いている。
俺は飛び立とうと力を込めようとしたが、その前にサラヴが再び質問をぶつけた。
―リヴの魂はどの程度残ってる?
『それなり。諦め早かったお陰で肉体から抜け出たのも早かったから。取り敢えず今から掻き集めて、地獄にぽいっと』
背を向けたまま、すらすらと答えるインバイス。
―戻れるのはいつになる?
『判んない。神獣が道理の地平にわざわざやってくるなんてほんっとーに数えるほどしかないんだ。地獄送りは決定事項だけど、期間とかに関しては上司と合議してから、ってところかなぁ』
―そうか。
『それなりに破損も激しいだろうし、もしかしたら罰も含めて新しく違う生命として再構築されるかもしれない。その辺りはまあ、判ったら伝える事にするよ』
―頼む。
『それはそれでひどく残酷な事かもね。神獣の位相から輪廻の渦に呑まれるなんて、それがどれほど虚しい事か、おいらには判らないほどの罰だよ』
―どうかな。それはそれで楽しいかもしれないぞ?
『そうだねぇ。ま、またね』
手を振るアンバイス。これ以上こちらと話すつもりはないらしい。
こちらにももうない。
「いいか?サラヴ」
―ああ、悪かったな、ヴァル。
「いや、いいさ。それじゃ、行くぞっ!!」
―おう!!
ぶわ、と。
大空に舞う炎の竜。
「待ってろよ、イェリル、ユーヤ。俺は勝ったぞぉぉぉっ!!」
空の上、なんとなく。
歓喜が爆発した。


『本当に、初々しいわさ』
空を滑っていく新たな神獣に、インバイスは小さな笑みを浮かべた。
『おいらの仕事も因業だけどねぇ』
笑みを苦笑に変え、両手を振り上げる。
『取り敢えず、こっちおいで、こっち』
ローブから杖を取り出して、くるくると回す。
と、周囲から煙のようなものが発生して、大挙して押し寄せてきた。
『はいはい、ここに入ってね』
すぅ、と彼のローブの中に吸い込まれていく煙。
ほどなく煙は全て彼のローブに飲まれ、不気味なまでの静寂が辺りを包んだ。
『はぁ、沢山居るなあ。取り敢えずこの件ではこれ以上増えないでくれると助かるね』
世界への呟き。だが、死の神獣たる彼の呟きは厳然たる意味を持って世界に浸透していく。
『じゃ、行こうか、皆』
ローブの中へと語りかけ。
そしてインバイスも唐突に世界から消える。
直後。
魔力によって維持されていた大地が、とうとう最期の時を迎えた。


「島がッ!!」
誰かの悲鳴が上がった。
何度となく衝撃波が竜達の障壁を打っていたから、沈むのは皆覚悟していただろうが。
もう島は見えない。
だが、最後に届いた衝撃波と津波は、島の最期を何よりも如実に物語っていた。
見えないとはいえ、故郷が失われる悲しみの強さは彼等にとって格別だろう。
亜人によって奪われた故郷は、結局二度と彼等の手に戻る事無く沈んでいくのだから。
「…ヴァルガは?」
ふと、イェリルが声を漏らした。
「大丈夫、すぐ戻ってくるよ」
そう慰めるガルムの顔も固い。
「そうです!ヴァルガ様が私を残して亡くなる訳がございません!」
よく判らない論理を持ち出すのは、無論ユーヤ。
とまれ、これだけ距離が出てしまっては、誰が勝利したのかはよく判らない。
「ヴァルが負けたら暴竜再臨、ということですか…」
沈痛な顔で呟くディール。
「おや。…もしそうだったら、君が戦うとか言わないよね?ディール」
「判りません。でも、彼の…彼等の想いと努力が報われなかったとしたら、私はそれに報いたい」
「ま、そんな事はないと思うけど…ね」
でもこの男は、自分とティタとリザリアの想いを一心に受けるこの男は、もしヴァルが敗れていたら間違いなくそうするだろう。
だから勝っていておくれよ、ヴァル。
愛する男を死なせたくない傲慢かもしれないが、ガルムは素直にそう願った。
と。
最初に気付いたのはやはりイェリルだった。
「ヴァルガッ!!」
「え?」
イェリルが体を乗り出し、指差す彼方。だが、誰もそれを見つけることは出来ない。
彼女と、もう一人を除いては。
「確かに、あれはヴァルガ様」
「…見える訳?」
「…勿論」
「…あいつ、何してる?」
「何か叫んでらっしゃるようですね。流石に何と叫んでらっしゃるか、まではよく判りませんけど」
「…なるほど、嘘吐いてる訳じゃあなさそうね」
「それはもう」
それだけで何か共感出来るものがあったのだろう。
二人はくすりと微笑むと、手を握り合った。
「ユーヤさん。まだちょっと複雑だけど、ヴァルガが貴女をもう一人として選んだのなら、私は貴女を歓迎するわ」
「イェリルさん。二人でヴァルガ様の支えに、そして重しになりましょうね」
「ええ」
その頃、やっとガルム達の目にも、おぼろげながら紅色の竜の姿が見えるようになってきた。
「…げに美しきは女の友情、というところだねぇ」
「…そうかや?むしろ妥協と容認といった風に見えるのじゃが」
「それは僕達が独占欲をむき出しにして醜い争いをしているからじゃないかな」
「判っておるならやめようとか考えんか?」
「いや、それだけは全く」
「…お二人とも」
そんな会話をする二人の恋人の後ろで、さめざめと涙を流すディールだった。


「やあ、見えてきた見えてきた」
―ふん。あの二人はその前から見えていたろうに。
「つながりってのは、そういうものなんだろ?」
―まあな。
「サラヴ」
俺はふと疑問に思った事を口にした。
あるいはサラヴも、俺が何を聞くつもりか判っていたのかもしれないが。
「…お前、剣になった時、リヴの居場所が判っていたんじゃないか?」
―ああ。
何故だ、と問い返す事も逡巡する事もなく、サラヴはそれを認めた。
―俺を責めるか?
「いや。たとえ人間でも亜人でも神獣でも、それはきっとそういうものなんじゃないかな」
家族を愛し、庇い、慈しむ。それが出来るということ。
―だが、俺は…
「貴方は俺の為にその全てをこの剣に捧げてくれた。…それだけで俺は充分なんだ。他の事は別にいい」
―では、何故…
このような事を聞いたのか。
責めるのでもなく、なじるのでもなく、ただ、疑問。
「信じたかったのさ、きっと」
―何?
「神獣もまた、家族を案じあえる存在なんだ、って事をさ」
―家族?…家族…。
そんな事を言われたのは初めてなのだろうか。困惑気味に呟くサラヴ。
「お前ももう俺達の家族だ。無意味に自分を責めたりしないでくれよ?相棒」
―ヴァル…。ヴァルガ…!
今度は感極まったように、こちらに意思をぶつけてくる。
「どうしたんだよ」
―俺は二度と、お前に何一つ偽らない事を、ここに誓うぞ!!
「そっか」
苦笑する。
つくづく感情表現の下手な奴だ。
もし生身だったら、滝のように涙を流していたんだろうな。
「さて…」
真下に船が見える。
手を振っている、皆も。
剣を仕舞い、サラヴの魔力体を消す。
イェリルとユーヤの居る甲板めがけて自由落下しながら―ウィァーの風の魔力が落下速度も和らげてくれたが―俺はもう一度叫んでいた。
「イェリル!ユーヤ!俺は勝ったぞぉぉっ!!」
「「ヴァルガッ!!」」
二人も魔法を使ってこちらに向かってくる。
その体を中空で抱き留め。
「よぉっしゃぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」
俺の歓喜の雄叫びは、真下から聞こえてくる皆の歓声と混ざって。
どこまでも、清々しく響いてくれそうな気がした。

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上記テキストは 2005年04月16日滑稽さま に頂きました。
ありがとうございます。
雨傘日傘