―デル・ヴァルガ・ラザム。彼を指し示す呼び名は多い。

サラヴァラックの武神
          epilogue T

―曰く、『混沌の神獣』


焦土の荒野、サラヴァラックから南に三日ほどの場所に、一つの都がある。
熱砂の都サラヴァラック。
海に面したこの国は、塩や砂金の精製などで非常に裕福な国となっている。
だが、この国は裕福さとは別にもっと他の事で近隣諸国に知られている。
『猛竜の僕』
猛竜を神と崇め、信仰する国家。
竜を信仰する国は、他に大陸中央の山間国家ウィーヴァーがある。
とまれこの国が建国後百年以上にわたって外部からの侵略を受けていないのは、一重に猛竜の加護からだ、と国民は固く信じている。
火炎と火脈を操り、絶対無敵の巨大な神獣。
事実その土地の地質の悪さと交通の悪さ、そしてすぐ近くに存在する獰猛な―そう信じるのは外国の者ばかりだったが―神獣の存在を恐れて攻め込んできたりはしなかった。
だが、彼等はサラヴァラックを崇めながらも、一方でサラヴァラックに挑む冒険者たちを支援していた。
これは暇を持て余すサラヴァラックが戯れに十代ほど前の王に依頼した事であり、彼に大恩ある王は複雑ながらもそれを受諾し、それは当代となっても変わらず続いていた。
だが、無敵のサラヴァラックは挑む全ての冒険者を軽々と一蹴したのだ。
故に、サラヴァラックという国は良くも悪くも『猛竜の僕』と呼ばれていた。
サラヴァラックを崇め、サラヴァラックに挑む者達を生贄として捧げる国。
それは国民の意識としても、大筋で間違っていなかった。
だが、それでも。国民はサラヴァラックを愛し、崇め、そうあることに幸せを感じていた。


―曰く、『竜殺しの系譜』


サラヴァラック城、玉座の間。
「それで、そなたたちが猛竜公を討ち倒したという猛者であるか」
「はっ」
「…確かに猛竜公の気配はここ一月ほど感じないが…」
「そうでございましょう?我等の手にかかればあのような竜ごとき、大したものではありませぬ」
「あのような竜ごとき…か」
ぎり、と王が歯軋りするのだが、冒険者達の言葉は止まらない。
「無論、我々も無傷ではありませんでした。ですが、一人の死者も出なかったことこそが、我々の最強である証ととっていただけましょう」
サラヴァラックを倒した、と騙る者は今までにも居なかった訳ではない。
そう騙る者が現れるごとに王はサラヴァラックの無事を確認し、そういった輩を捕縛していたのだが。
今回は確かにサラヴァラックは姿を消していた。
稀に兄弟の元に赴くことはあったが、それでも連絡はくれていたから、今回はそうではない。
「何しろ我々には―」
冗長な自慢話を繰り広げる冒険者達に心底うんざりしつつ、それでも猛竜についての情報を引き出そうと、王は気長に耳を傾けていた。
と。
「陛下!!」
「何事か?」
「猛竜公の名代と名乗る方々がおいでです!!」
「ほう、通せ」
普段ならば最低限の調査はする王であったが、この冒険者達の話を聞くよりはまだマシだろう、と判断してそれを許可した。
「な、何を?猛竜ならば我々が…」
「うむ。だが我々は猛竜公の名代と名乗る者を無下に帰す事は出来ん。許せ」
慌てた様子の冒険者達に、それでも鷹揚に許しを願う王。
そうされては彼等も黙らざるを得ず。
入ってきたのは、片方を手甲で覆った青年と、それに追従する儚げな印象の女性。
「初めまして、国王陛下。リュッソ・シュルツと申します。こちらは妻のミァーユ」
「初めまして」
「うむ。…それで、猛竜公の名代、との事だが」
「厳密には猛竜公を討ち果たし、その魂を剣に宿された方の名代でございますが」
「なんと!?」
「かつて暴悪の海竜、リヴィアタン公を討ち、剣に封印なされた『竜殺し』アデュ・ラザム殿。そのご子息でございます」
「なんだとっ!?」
「馬鹿な!猛竜は我等がっ!!」
あくまでそう主張する冒険者達を一瞥して黙らせ、リュッソは懐から『本題』を取り出した。
「まずは、こちらを」
大臣にそれを渡すと、大臣は妙な仕掛けがないか調べ始めた。
「それは何か?」
「猛竜公の主、デル・ヴァルガ・ラザム公が猛竜公の依頼にて鍛え上げられた『火脈の杖』にございます」
「火脈の杖、とな?」
「はい。これは同時にグラウガンブランドの宝具でもあります。お納めください」
「ぐ…グラウガン!?」
これには王はおろかここに居る全ての者が驚いた。
「この右腕も、紛れもなくヴァルガ公に作っていただいたグラウガンブランドの義手。さ、お納めあれ」
リュッソは肩口まで袖をたくし上げ、それが義手であることを明かす。
「う、うむ」
杖を大臣から受け取り、王はその細工の素晴らしさに驚く。
「こ…これは見事」
そしてその細工の中に、一つ目を引く模様を見つけ、大きく頷いた。
「シュルツ殿。この紋様は確かにグラウガンブランドの証。…感謝いたしますぞ」
「は」
「馬鹿な!猛竜を打ち倒したは間違いなく我等!国王陛下、この男の申すことこそ嘘っぱちでございますぞ!!」
「…何を申すか下郎!この方こそは確かに猛竜公の名代であられるぞ!!」
怒ったのはリュッソではなく、大臣の方だった。
少なくとも猛竜に対して一定の敬意を払い続けるリュッソの方が、彼等にしてみれば好意的に映っているのだろう。
「構いませんとも」
だが、リュッソはそれを笑い飛ばした。
「ですが、猛竜公はこうも申されました。『自分はもうヴァルガ公の佩剣として共に在る道を選んでしまった。最早自分は彼の意思なくばこの国を護る事は出来ない。故にヴァルガ公に委託してこの杖を作ってもらった』と。陛下。その杖には猛竜公の従者たる炎の精霊が数多く宿されておりまする。さ、確認なされませ」
「う、うむ…」
促されるままに杖を振り抜いた、王。
途端、杖の先から炎の弾が飛び出し、中空でくるくると回転して止まった。
―やあ皆!ボクはサラヴァラックさまからこの国を護る為にやってきた火精『エフレット』さ!よろしく頼むよ!!
「おおっ!!」
ざわめき。
「え、エフレット…!!」
火炎を司るものの中ではサラヴァラックに次ぐと言われる高位の精霊である。
「エフレット殿。そこの愚か者達はヴァル殿の業績を自らのものにしようと思っているようだが」
―まったくもって、不届きだよねぇ。国王さん。リュッソちゃんとこいつらのどっちを信じるかな?
「…論じるまでもありますまい」
王はゆっくりと立ち上がると、杖の先を冒険者たちに向けた。
「この者達は誇り高き猛竜公の名を汚した大罪人だ!ひっとらえよ!!」
近衛兵が我先にと殺到する。
「さて、シュルツ殿」
「は」
「貴公のお話を伺いたい。貴方の見られたヴァルガ公を、ヴァルガ公と猛竜公、そして貴殿らご友人の素晴らしき軌跡を」
「私めの知る内容だけでよろしければ」
「無論だ!ウィムラー!!」
と、間の奥に居る青年を呼ぶ王。
「この者はこの国の書記官をやっております。ウィムラーよ。シュルツ殿のお話を一字一句余す事無く書き記せ」
「承りました」
「ヴァルガ公も遠からずこちらに見えられることでしょう。もっと詳しいお話は、その時にでも」
「うむ、うむ。いやぁ、楽しみであるな」
とても嬉しそうな王や大臣。
リュッソとその妻を歓待する宴は、この後三日間続いた。


リュッソ・シュルツ。
元は大陸西方の島国、ユグド出身の傭兵。
ユグド亜人侵攻の報を聞いて帰国し、その折に捕えられて仲間の殆どを失う。
仲間の手によって逃げ延びた彼は天竜バルクートの縁で焙煎喫茶エリュズニルの面々やヴァルガと交誼を結ぶ。
後世ギオルグ戦役と呼ばれる戦争において、ユグド宮殿から解放された捕虜たちの退路を確保する為に奮戦した。
その際、捕虜となっていた恋人のミァーユと再会し、戦後結婚する。
しばらくはエリュズニル近くに家を借りて妻と二人で静養していたが、その健康が快復するとヴァルガの願いで南方の都サラヴァラックに赴く。
ヴァルガの名代として登城した彼は、国王らの信義を得て客分となり、その後将軍として遇された。
彼の子孫には歴史研究家のイロス・シュルツやサラヴァラック王国豪腕将軍ライナス・シュルツが居る。

―曰く、『同族狩り』


「さ、体の調子はどうだい?」
「うむ、悪くない。…世話になった、ガルム殿」
ガルムと一緒に、階段から降りてきたイジゥ。
「いやいや。ディールの願いは断れないからね」
「…ディール殿」
鎧ではなく、女性用の衣服をまとえばイジゥは紛れもなく女性だった。
しなやかに鍛えられたその肉体が、非常に美しい。
「あ、イジゥ殿」
店内の掃除を終え、コーヒーを飲んでいたディールが答える。
元気になったのですか?とほのぼのした笑みを浮かべる彼に、笑みを返す。
「ティタ殿やリザリア殿はどうされた?」
「リザリアは外の掃除、ティタちゃんにはちょっと昨日の買い忘れを買ってきてもらいに、ね」
「そうか」
その時イジゥの瞳が輝いたように見えたのは、気のせいだったろうか。
「貴方がたには世話になった。恩を返したいと思う」
「いやいや、それは…」
別段構わないですよ、と言おうとしたディールだったが、
「あ、ならイジゥちゃんもここで働けばいいんだよ!」
その前にガルムがまたとんでもない事を言い出した。
「なんと?」
「あんまり給金は出せないけどさ、一応三食は保証するよ。それにそうすれば他の店員さんにお休みをあげられるし」
「良いのですか?ガルム」
「それに、多分まだまだこの世界は君には厳しい世界だよ。ア・ミスレイルに行くっていうのもそれはそれで悪くはないと思うけど、もし君が良かったらここで働いてみないかい?」
「…では、よろしくお願いする」
深々と頭を下げてくるイジゥに、
「うん、それじゃあ決まり」
にこやかに笑うガルム。
と。
「ただいま〜」
「戻りました〜」
ティタとリザリアが戻って来た。
「あ、お帰りなさい、ティタ様、リザリア様」
「ただいま、ディール」
「おお、イジゥよ。快復したのじゃな」
「うむ、世話になった」
「なに、構わぬさ」
リザリアと二人席について、用意されていたコーヒーに口をつける。
「そしてこれからも世話になる」
「うむうむ…なんじゃと?」
いちいち頷いていたティタだったが、その首の動きがぴたりと止まる。
「エリュズニルの新しい店員だよ〜」
「なんと!?」
ガルムの言に目を見開くティタ。
「そうですか。よろしくお願いしますね、イジゥさん」
「よろしく頼む、ティタ殿のご母堂」
「ね?イジゥちゃんに女の子らしい喋り方とか一般常識とかも教えてあげないといけないと思うし、さ」
「うぅ、む」
何故か煮え切らない様子のティタ。
「どうしました?ティタ様。…何かお気に召さないことでも?」
「ん…いや。うむ。こちらこそ世話になるぞ、イジゥ」
「ああ」
逡巡していたティタも、やっとそれを諾した。
「ありがとう、皆。…ところでディール殿」
と、イジゥがディールに向き直った。
「はい?」
「貴方の拳、とても熱かった」
何故か苦悶ではなく、赤く頬を染めるイジゥ。
「あ、それは申し訳ない事を…」
「いや、そうではないんだ」
「はい?」
「貴方の拳は、俺のしがらみとか鬱屈した思いとか、そういったものを打ち砕いてくれた気がするんだ」
「…それは」
何となく、察したディールである。
「この、切ない想いは…何なのだろう」
「えっと…それは」
「それは恋だね」
のほほんと、答えるガルム。無責任もいいところだ、が。
「やはり、そうか。ユグドに居た頃ユーヤ殿に聞いては居たのだが…」
うむうむ、と頷くイジゥ。
「ディール殿。…不躾だが頼みがある」
「な、なんでしょうか?」
「ディール殿。貴方の子供が欲しい」
ぶっ!!
噴出したのはディールだけではなかった。
ティタもリザリアも、ガルムまでもがあまりにストレートな物言いに噴出してしまっていた。
「いや、あの、えーと…」
「無論、妻にしてくれなどと言うつもりはない。貴方の子を産むことが出来たら、それだけでいいんだ」
「あの…」
「そういう問題ではないわーっ!!」
最初に爆発したのは案の定ティタだった。
「何を怒る?ディール殿は三人とそういう関係なのだろう?であれば俺が一人くらい増えても…」
「よくないっ!!」
「あらあら…」
「まあいいじゃないか、ティタちゃん。僕達の惚れた男がそれだけ女性を惹きつけるなんて、いいことだと思わないかい?」
「思わんっ!!もともとディールはわらわのじゃっ!!」
「ティタ様…」
ストレートな言葉に恥ずかしい反面、嬉しくもある。
「ま、僕は構わないよ、イジゥちゃん。存分にディールから絞り取ってあげたまえ」
「うむ」
「…私の意思は?」
ディールの言葉は、この喧騒に届きそうになかった。


デル・イジゥ。
出身は不明。どうやらダークエルフに覚醒して捨てられた所を、亜人の父親に拾われて育てられたらしい。
その為か口調は無骨な男言葉。
父の死とともに外の世界に足を伸ばし、自分の居場所を求めるも人間は彼女をひたすらに拒絶した。
失意の彼女はユグドに亜人が集っている事を聞き、一縷の望みを賭けてそこに赴く。
彼女は亜人達に受け入れられ、それに恩義を感じた彼女はユグドの方向性に疑問を感じながらも彼等の尖兵となる道を選んだ。
ギオルグ戦役にてディールと運命的な邂逅を果たし、交戦する。
敗れた彼女はディールの情けによって生き延びる事に成功した。
その際、自分より強い男であったディールに恋慕の情を抱いたのは無理からぬことかもしれない。
快復後はリュッソの残した家に移り住み、エリュズニルの店員見習いとして働く事になった。
ちなみにディールとの間に子を為す事に成功したのかどうかは不明である。
…が、後年彼女には一人の娘が居た事を補記しておく。


―永い時をかけ、その呼び名の大半は擦り切れ、文献や伝承にわずかに残る程度だ。


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上記テキストは 2005年04月16日滑稽さま に頂きました。
ありがとうございます。
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