『デル・ヴァルガ・ラザム。
彼を指し示す言葉は多い。
曰く、混沌の神獣。
曰く、竜殺しの系譜。
曰く、同族狩り。
曰く、ラザムズの父。またはその長兄。
無論、これだけではない。数えれば両手に余るのは間違いないし、それだけの名が出来るほど彼はとても多くの伝説を作った。
そしてそれは、その多くが寓話や伝説と一緒に掠れて消えるように、彼が今もなお元気に作り続ける新しい神話や風説の上に次から次へと生み出されていくのだ。』
                       イロス・シュルツ『伝承学』より

サラヴァラックの武神
          grand finale

訪問は突然だった。
俺自身、かなり唐突に思い出した事だったから、そりゃもう突然だ。
「いらっしゃいませー」
「ご無沙汰しています」
「あ…」
「ヴァル!!」
本来なら手紙でも出さなければ失礼だったのかもしれないが。
ガルムさんはそんな事はおかまいなし、と言った風情でにこやかに応対してくれた。
「やあやあ、よく来たね。三ヶ月ぶりかな?」
「はい」
「イェリルやユーヤは元気かい?」
「ええ。地元で元気に子供達の相手をしていますよ」
「子供達?」
「はい。…ほら、入っておいで」
と、外で待っていた二人を呼ぶ。
「…こんにちはぁ」
「どうもぉ」
それを見たティタさんが、一言。
「…もしかして、ヴァルの弟かや?」
多分そう言っても差し支えはないのだろうけど。
「ええまあ。院の子です」
「院?」
俺達をカウンター前の席に案内してくれたディールさんが首を傾げる。
「ええ。ア・ミスレイルの実家の側に建てたんです。…身寄りをなくした亜人や人間の子供達を引き取っているんですよ」
「おお、そうかぁ」
「ギオルグみたいな悲しい奴をもう出したくはないですから」
「そうだね、いい事だと思うよ」
ギオルグの一件で、判った事がいくつかあった。
人間にも俗物は少なからず居るし、亜人にだって居る。
種族の差じゃなく、心根の醜さ。
それを種族の違いだから、と断じてしまうのが一番いけない事で。
ガルムさんやディールさん、ティタさんにリザリアさん。
ここに居る人たちみたいに、ほんの少し誰かに優しく出来るようになれたら。
きっと種族の違いなんて、とても小さな問題になる筈だ。
「ふむ。のう、そなた達。わらわの名はティタじゃ。そなた達の名前は何と言うのかや?」
早速ティタさんが二人に声をかけてくれている。
「フリス。フリス・ディン・ラザムズです」
「エリア・ラザムズ…で、いいのかしらね?」
「ふむ?」
言葉にはせずに、ティタさんが唸る。
言外の疑問。エリアの言葉の意味だろう。
「ああ、エリアは旅先で引き取った子なんですよ」
「そうなんだ」
とはいえ、実年齢は俺より上かもしれないけど。
「皆さんもお元気そうで何よりです」
「…元気なのは元気なんだけど、ねえ」
リザリアさんがにこにこと答えてくれた。…けど目は全然笑ってない。
「どうかしたんですか?」
「いや、私からは―」
口ごもるディールさん。
まあこの喫茶店の中で起きる事態には、良くも悪くも常にディールさんが関わっているから、また彼に関することなんだろうけど。
「ガルム殿。今戻った」
「おや?」
「ああ、イジゥ。お帰り」
そこにちょうど見知らぬ人が買物から戻ってきた。
「新しい店員さんですか?」
…どうやらダークエルフのようだ。
時期も時期だし、もしかするとユグドに居たのだろうか。
「ええ、まあ…」
「ディールの新しい愛人さんだよ♪」
「へぇ!」
「え、ちょ、ガルム!?」
「デル・イジゥだ。よろしくたのむ」
イジゥ殿が全く否定せずに頭を下げる。
ふと、思い出した。
「デル・ヴァルガ・ラザムです。…あの時、船でお会いしましたっけ」
「…ああ、貴方が」
怪我をしていたようだったし、その後俺達は生き残ったユグドの人達の居場所の確保などに奔走して居たから印象が薄いのだけれど。
ガルムさんが数日の間付きっ切りだったような覚えがあった。
「ねぇねぇ、ヴァル兄さん」
と、エリアが俺の袖を引いてきた。
「ん?」
「この人達って…どういう方?」
「ああ、俺やイェリルが色々とお世話になった人達でね」
そう。本当に世話になった。
特にガルムさんには、親父と俺と、二世代に亘って大恩が出来た。
足を向けては寝られないな。
「ふうん…。それで、ここに居る女性陣って、皆さんこのディールさんって人の恋人なの?」
「らしいぞ?えっと、一応正妻はどなた…」
「私「わらわ「僕!」」」
「…との事だ」
「うわぁ、修羅場ってるわねぇ」
「だな」
エリアも目を丸くしている。
と、フリスがとんでもないことを言い出した。
「なぁ兄貴。もしかしてこちら…同好の士?」
「ちゃうわ。俺はここまで節操なくない」
「…いや、その発言もどうかと思うけど」
実際ここまで節操なくはないと思う。
何しろ俺にはイェリルとユーヤだけだ。
「そういうの、男の勝手な理屈ってやつだと思うよ」
「うっさいな」
少々旗色が悪いだろうか。
二人に一途、ってのは確かに勝手な理屈かもしれない。
だが…。
「はふぅ」
と。
エリアが真っ赤になって突っ伏した。
「ど、どうした?」
「え?…あ、いや、何でもナイワヨ?」
「?」
フリスはきょとんとしているが、俺にはピンと来た。
「…フリスだろ?」
「!」
案の定、顔が更に赤くなる。
「え、ええとあのそのアタシ…」
「くっく…」
「え?二人はそういう関係なのかい?」
「いんや、まだまだらしいですよ。目下フリスはエリアを撃沈する為に絶好の口説き文句を研究中だとか」
「あ、兄貴ッ!!」
今度はフリス。
「へぇ!…そうだ!久しぶりだし今日は泊まっていきなよ、三人とも」
「え?」
流石に何度も泊めていただくのは心苦しいのだが。
「いいですね、それは。…二人で少し飲みませんか?」
ディールさんのお誘い。
「…そうですね。一度貴方とは酌み交わしてみたかった」
「はい。ではガルム。私からもお願いしますね」
「勿論だよ」
と、蚊帳の外だったティタさん達がフリス達に群がった。
…なんというか、目の光が獲物を見つけた虎のような。もしくはいい肴を見つけた時のガルムさんのような色を宿しているのは気のせいだろうか。
フリスにはティタさんとリザリアさんが。
ある意味最強のタッグだ。
「ふむ。フリスよ。このティタお姉さまが一発で効く口説き文句と言うやつを伝授してやるぞ」
「え?」
「あらティタちゃん。それは経験豊富な母様に任せておいて欲しいところだわねぇ」
「何を言うか!母様は食事に眠り薬だの飲み物に媚薬だの、言う事やることがあざといのじゃ!」
「まあまあ!そういう事を言うような子に育てた覚えは―」
そして、エリアにはイジゥさんが。
「エリア殿、と言ったか」
「え?あ、イジゥ…さん?」
「貴女に折り入って頼みがあるのだが」
「えっと、何でしょう?」
「…実はこの口調を治したいのだが…」
「…ああ」
「頼めるだろうか?」
「えっと、少しくらいお手伝いは出来るんじゃないかと…」
「恩に着る」
「いえいえ」
もう打ち解けてしまった。
「こういうのが、理想だよなぁ」

夜。
ガルムさん達女性陣は上でもうお休みになり。
フリスも前には俺が使っていたベッドで寝息を立てている。
俺とディールさんは近くの河原で星を見上げながら互いに杯を重ねていた。
ユグドでの話や、他愛ない日々の話。
ディールさんが騎士だった頃の話や、俺が親父を目指していた頃の話まで。
ふと、話に間が空く。
俺はふと思い立ち、立ち上がった。
「ああ、そうだ。ディールさん」
「はい?」
「こいつを、受け取ってくれませんか?」
あの頃から腰に差したままだった『それ』を抜いて、ディールさんに渡す。
「…これは…!?」
「宿っていた竜の魂は既に在りません。そういう意味では安全な代物です」
まあ、魔剣として使おうとしたらかなりじゃじゃ馬だろうけど。
「…いや、しかし。これは父君の形見でしょう?」
「ええ。ですが俺にはもうサラヴが居てくれます。それに…」
俺がこの剣を求めたのは、親父の魂の尊厳を取り戻す為だった。
ギオルグを止めて、リヴに止めを刺して。親父はきっと満足してくれた筈だ。
「それに、きっと親父が生きていても。貴方にこれを託すのであれば笑って許してくれた筈ですから」
そしてこれは、俺を信じてくれた貴方への。俺の為に戦ってくれた貴方への。
「感謝と、友情の証として。この魔剣リヴィアタンを、受け取って欲しい。ディール」
「判りました。大事にします。必ず。信じてください、ヴァル」
「有難う」
「こちらこそ」
ぐっ、と握手を交わす。
…俺達は星空の下、本当の意味で終生の友人を得た。

気がついた時には、足元に血の池があった。
モノを言わない肉の塊が、幾つも散乱しており。
見回すと、そこには遠巻きに自分を見る視線。
嫌悪、恐怖、侮蔑、憎悪。
その視線の色に呼び起こされるように、思い出される汚らわしい記憶。
確か自分が居たのは箪笥の中。
ぐちゃぐちゃと、まるで玩具を解体するかのように切り刻まれる父親。
顔も覚えていない男の上で、ゆらゆらと揺すられる母親。
泣き叫ぶ力も失って、母親の腹が真っ二つに裂かれた瞬間。
自分の中で何かが弾けた。
そして今の今まで、両親を殺した男たち二人を挽肉にしていた、自分の指の動きまで。
「あ、あの…私…」
全てが思い出された瞬間、私は誰かに助けを求めたかった。
一歩、二歩。
足を踏み出した私に、浴びせかけられた視線は。
恐怖、恐怖恐怖恐怖。
拒絶、拒絶拒絶拒絶。
悲鳴、怒号、罵声。。
私から遠巻きに離れながら、叩きつけられる言葉の渦。
その一つ一つの意味は判らなかったが、その冷たさが私の心を削り取り。
「は…あは…あはは…」
何もかもが、どうでも良くなろうとしていたその時。
「大丈夫かい?」
労りに満ちたその声だけは、何故かとてもよく通って聞こえた。
「え…?」
遠ざかろうとする人垣を掻き分け。
「大変だったね」
私を抱き上げてくれた、その人。
ぎゅ、と血塗れの私を抱き締め、やさしく髪の毛を梳いてくれて。
「一緒においで」
そう声をかけてくれた人。
私達の父様。
デル・ヴァルガ・ラザム。
それが私の、私としての最初の記憶―

「起きなさい、キゥナ。もう朝よ」
「ん…。イェリルかぁさま?」
「そ。おはよう、キゥナ」
「ん。…キゥナ、夢を見てたの」
「そう」
目が覚めると、私はいつものふかふかのベッドの中で、イェリル母様はいつも通りの笑顔で。
「ヴァル父様の夢。ね、父様はもうすぐ帰ってくるんだよね?」
「そうよぉ?ほら、はやく着替えてご飯を食べちゃいなさい」
…あ、いつも通りじゃない。
母様、いつもよりすっごく嬉しそう。
「え?」
「さっきね、剛竜様から連絡があったの」
「え?え?」
「父様は剛竜様の上を今、こっちに向かって歩いているんだって。…迎えに行くでしょ?」
瞬間。私は風になった。
「…あらあら。キゥナも皆と反応が一緒ねぇ」
イェリル母様に予測されていたのは、ちょっとだけ悔しかった。

町の入り口には、もうユーヤ母様や他の兄妹達が居た。
「ユーヤ母様!父様は?」
「もうすぐ来ますよ、キゥナ。いい子で待っていましょうね」
「うん!」
どきどきしながら、父様を待つ。
「新しい子が一緒に来るんですって。楽しみね?」
「ほんと?」
「ええ」
新しい兄弟が増えるなんて、今日はなんていい日なんだろう。
最初に見えたのは、フリスにーさまだった。
「にーさまーっ!!」
「帰ったぞーっ!!」
ぶんぶんと手を振ると、にーさまも手を振り返してくれた。
ダークエルフの兄弟は、今はまだフリスにーさまだけだからとても嬉しい。
その後ろから見えたのは、黒い髪のおねーさん。
あの人が新しい姉妹なのかな?黒い髪だって事は、ダークエルフなのかも。
「はじめましてーっ!!」
「いらっしゃーいっ!!」
妹のリーンがそう叫んだから、私も大きな声でご挨拶する。
そうしたらおねーさんも笑いながら、
「はじめまして!!」
って言ってくれた。
その向こうから、一番待っていた父様が見えた時、私はやっぱり風になっていた。
だって父様の肩車は皆の特等席だから。
遅れて皆も走ってくるけど、でも駄目。
今日父様の前に一番乗りするのは私。
「父様ーっ!お帰りなさい!!」
「おう、キゥナ。いい子にしていたか?」
「うん!」
ひょい、と私を担ぎ上げてくれる父様。
「あーっ!キゥナいいなぁ!!」
「ヴァルにーちゃん!僕も!僕も!!」
「ぱぱー!!」
父様はいつだって大人気。
だって私達は父様に救われたから。
暖かく抱き締めてもらったから。
私は兄弟達の羨望の声を無視して、父様の頭にしがみついた。
「お、今日のキゥナは甘えん坊だな?」
「うん」
「寂しかったか?」
「うん」
「よし。それじゃあ今日は皆で遊ぶとしようか!」
「うんっ!!」
「わーい!」
喜ぶ皆。そりゃ私だってとても嬉しい。
でも、父様はまた暫くしたら出かけてしまう。
三日後かもしれないし、一ヶ月後かもしれない。
行かないで、って思うけど、それが私達みたいな子を同じように救う為なんだから、我侭は言っちゃいけない。
だから私達は、父様が一緒の時は父様を独占しようと大忙し。
「おかえりなさい、ヴァルガ様」
「ただいま、ユーヤ。元気にしてたか?」
「それはもう。この子達と一緒なのに元気じゃない訳がありませんわ」
「イェリルは?」
「ご飯の準備を整えて待っていますよ」
「そうか。それじゃ皆!行くぞーっ」
その声に、私は父様の肩から飛び降りると、先頭に立って走り出した。
父様に肩車してもらったのは嬉しいけど、おなかがすいたのを思い出しちゃったから。
起きたばっかりで走り回って、私のおなかはぺこぺこだ。
父様はユーヤ母様と二人でゆっくりと歩いて来ている。
私はドアの前まで来ると、立ち止まってそっちを向いた。
皆も一緒。
だって一番大事な事がまだ残っている。
おなかは空いたけど、それでもおなかに力を入れて。
誰よりも大きな声で、父様に一番最初に聞こえるように。
「ヴァル父様!お帰りなさいっ!!」

―デル・ヴァルガ・ラザム。
彼を指し示す言葉は多い。
彼を畏怖する者も。
彼を敬愛する者も。
彼を恐怖する者も。
彼を崇拝する者も。
多くの者が身勝手に使いはじめ、そして身勝手に風化していく異名の数々。
彼が伝説を生み出す度、それと同じ数だけの徒名が出来、そして消えた。
中には聞くだけで彼と判るものもあれば、百人の内九十九人は彼を指す事を否むようなものもあった。
だが、いつからだろうか。
その呼び名は、彼と共にあった。
それはもしかしたら最初からだったかもしれないし、随分最近なのかもしれない。
人々はいつしか、斉しく彼をそう呼ぶようになった。
かつて、彼を描いた文献や書物では、書き手の語彙や独創性に溢れた彼の素晴らしかったり面白かったりする呼び名が踊っていた。
しかし、その書き手ですら。その呼び名を超える言葉で彼を飾る事は出来なかった。
いつしか彼等も、デル・ヴァルガ・ラザムをたった一つのその名を以って讃えた。

その名に様々な想いを込めて。
人々は彼をこう呼んだ。
曰く。
サラヴァラックの武神と―



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上記テキストは 2005年04月18日滑稽さま に頂きました。
ありがとうございます。
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