ア・ミスレイルに住む亜人の中には、ダークエルフも少なからず、居る。
争いを好まず、蔑視に耐えられず、人知れずこの街に来た彼らの名が人間世界に漏れる事は、間違ってもあり得ない。
精々、領主たるダークエルフの名が知れている程度か。
とまれ、それ故に、こう言った事件も言うほどに少なくはないのだが。
今回の件は、異例に過ぎた。
「あはははははぁ…」
普通ならば理性を失っているのはダークエルフに覚醒したての息子の方であり、知性に満ちている母親がそれを止めようと奮闘するものだが。
これは逆だ。
母親の方が、普段見せる優しい笑みとは違い過ぎる空虚な笑顔で、息子の首を締め上げていたのだ。
そして息子はその両手を慈しむように押さえ、知性に満ちた悲しい目で母の事を見詰めている。
轟音を察して集まった街の腕自慢のダークエルフ達は、その様子を見て一瞬以上躊躇ってしまった。
母親は覚醒して随分経つダークエルフなのに何故。
それが彼らの言い分なのだ、が。
「…アンタ達は手を出すな!!」
息子の、一切の手出しを認めない口調に、一斉に我に返った。
「ヴァル!?い、一体どうした!!」
「悪いが…説明している暇はないっ!!」
決意を瞳に乗せ、行動に移る。
…彼女に止めを刺すべきは、自分なのだと、言い聞かせて。
強引に両手を引き剥がし、力を込める。
ダークエルフの膂力は、覚醒前の鍛錬次第によって、その成長率も変わる。
人間の父親に、平素から精神、肉体ともに鍛錬を受けてきた彼と、人を傷つける事さえ厭う母とでは、その筋力の発達量も大きく違うのだ。
めしびきと鈍い音が響き、その両腕が砕けて潰れた。
「ぃぃぃぃっ!!」
苦痛か恍惚か。
それすらも判別出来ないような表情の母。
手はもう使い物にならない。
だが、油断はしない。
ダークエルフの腕は、振り回すだけで凶器なのだ。
一瞬の躊躇。だが。
「ゴメン…お袋ッ!!」
彼は歯を食いしばって―
笑いながら血の涙を流す母の顔面に―
強く握りこんだ鉄拳を叩き込んだ。
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サラヴァラックの武神 Vol.3
文:滑稽
夜。
取り敢えず、今夜は泊まっていけ、と言うのがガルムさんのお達しで。
俺は久しぶりに乾し肉ではない食事にありつき。
久々の風呂でリフレッシュし。
横たわっているのは柔らかいベッドだ。
とても有難い。
客用に用意されたこのベッド、場所は一階、カウンターのすぐ前だ。
どうやら物置にでもあったものらしく、風呂から出たら既に用意されていた。
取り敢えず表に出て、親父から仕込まれた剣の型を全てやり通す。
剣に限らず、全ての武術とは点と線からなる。
突と、薙。
剣で言えば、それだ。
剣術の大系とは即ちその研鑽だとか。
親父の口癖に
『億兆の素振りの果てに、やっと真理ってのは見えてくるもんだ。強敵とかの戦闘でふと思いつくようなもんじゃないんだよ』
というものがあった。
事実、親父の生前―つまり俺が覚醒するまでだけれど―に親父に勝てた経験は一度だってなかった。
結局は、地道な努力がモノを言うのだ。
親父から課されていた修練のざっと30倍。それを終えて戻って来た時、上の階から怒鳴り声が聞こえてきた。
「ええい!!今宵はわらわの日だと決めたであろうが!!」
「そんなぁ。僕も混ぜてくれよぉ」
「やかましい!お主は昨日まで三日も立て続けに楽しんだであろうが!!」
「昨日はリザリアと一緒だったから不完全燃焼なんだよぉ」
「やかましいっ!!わらわは一週間ぶりなのじゃぞ!!」
「あ、僕やリザリアと一緒だった日をカウントしてない!!」
「とーぜんじゃ!今夜はわらわ一人でじっくりディールに可愛がってもらうのじゃ!ええぃ!とっとと自分のベッドに戻るが良い!!」
「うわぁ!ティタ様暴れちゃ駄目ですよ!!」
「む?済まぬなディール。直ぐにこの不心得者どもを追い出すからのう?」
「ティタちゃん?母様も不心得者に数えるなんてあんまりでしょう」
「ならば何故わらわの隙をついてディールを連れて行こうとしておるのかの?」
「あ、あらら…」
「えぇい!!今宵ディールの隣に添うのはわらわだけじゃ!!他の者は皆出て行けい!!」
そして、ドタバタという音がしばし響き。
「…何なんだ」
階段からガルムさんとリザリアさんが降りて来た。
「あはは…追い出されちゃったよ」
恥ずかしそうに頭を掻くガルムさん。
「はーれむですか…」
「何か成り行きでねー」
「…まさか本物をこんな喫茶店で見るとは思いませんでしたよ」
「あはははは」
いや、笑われても。
まあ彼らが納得ずくならいいんだろうけど。
「あらあら…少々汗をかいてしまいました。もう一度お湯を頂きますね?」
「はーい」
と言って、風呂場に向かうリザリアさん。
「?」
こんな時間に?
「やっぱり嫌なんだろうな、リザリアも」
「はい?」
少々悔しそうな顔のガルムさん。
と、程なくして、上の階から嬌声が聞こえてきた。
「…あ、成る程」
それはまあ、自分が蚊帳の外なんだから、聞きたくはないだろう。
ガルムさんも嫌なのかな、とそちらを見てみると。
ガルムさんはいたく真剣な顔でこちらを見ていた。
「君は…好きな娘とかはいないのかい?」
どうしたのだろう?
会話の内容と表情が一致しない。
「将来を約束した人が、里に」
「お。大事にしたまえよ?」
「勿論ですよ」
微笑む。思い出してしまった。
「ア・ミスレイルに住んでいる、って事は亜人だろう?種族は?」
「エルフです」
「そうかぁ…」
感慨深そうに呟くガルムさん。
確かに、エルフとダークエルフのカップルなんて、世界中探してもア・ミスレイルくらいしかないだろう。
あそこはどの種族も憎みあわない。
領主と、剛竜殿のお陰だ。
街を出る時の、彼女の言葉がふと浮かぶ。
『待ってる。帰って来るまで』
だから俺は帰らなきゃならない。生きて。必ず。
と。
ガルムさんは言いにくそうな顔で、それでもしっかりとした口調で言ってきた。
「…止められないよね?」
「彼女にも同じ事を言われましたよ」
苦笑する。
行きがけに散々言われた言葉。
領主さんにも言われた。
でも、俺はここに居る。
それが全てだ。
「でも、判ってるかい?」
深刻な顔と、目つきで問うてくるガルムさん。
「ダークエルフが個としては最強の亜人でありながらも竜族を淘汰しないのは、互いの数が少ないから、って訳じゃない」
重く、断固とした口調で告げられる、実質の死刑宣告。
「…決して勝てないからだ」
ドクン、と。
心臓が跳ねた気がした。
「ダークエルフにとって唯一無二のアドバンテージであるタフさと馬鹿力。それが竜族の前では霞んでしまう。同じ条件の下で考えたら…山と石が争うようなものさ」
ダークエルフは魔力に嫌われた種族だ。
人間やエルフならある程度、竜族の圧倒的な魔力に自身の魔力や精霊の加護で抗する事が出来る。
だが基本的に馬鹿力だけが自慢のダークエルフは、竜の最強の攻撃手段、ブレスを封じる手段が無いのだ。
俺達が例え群れたとしても、岩すら熔かす猛竜のブレスの直撃を受けたら精々骨くらいしか残らない。
「…判っています。親父が戦った時よりも俺の勝ち目は薄い」
「リヴィアタンが人を襲っていたのは、彼が竜族で最も弱かったからだよ。怖かったんだね、自分を脅かしかねない存在が」
空を駆ける事が出来ない竜は二体。
翼の退化した剛竜ティガニーアと。
その住処を海中にした暴竜リヴィアタンだけだ。
剛竜殿は地震すら起こ激重の巨体を持ち、絶対防御とも呼ばれる鱗がどんな魔力、物理破壊力をも遮断する。その分動きは鈍いが、吐き出すブレスは圧殺のサンド・ブレス。巻き込まれればダークエルフとてひとたまりもない。
だが、リヴィアタンはその鱗を海中で浮力を得る為に柔らかくし、吐き出すブレスは高圧の水鉄砲。再生能力は五竜の中でも屈指であったが、戦闘能力だけを比較すれば竜の中では最弱であったようだ。
「僕は止めたい。敵討ちなんて真似もだけど、サラヴァラックに挑むなんて真似は」
「有難う御座います。…ですけど」
ガルムさんの優しさは痛い程判ったけど。
拳を握り締める。
「奴が魔剣を持って行った以上、それに対するには俺も同等の武器を持たねばなりませんから」
「…いや、だからって…」
「俺の命と魂を賭けてでも、俺は親父の尊厳と誇りを取り返したい」
じ、っと。
ガルムさんの瞳を見据える。
ガルムさんもこちらを見詰めていたが、一つ大きな溜め息をつくと諦めたように首を振った。
「あーもう!!何でここにやって来る『いい男』ってのはこぞって命知らずなのかなぁ、まったく!!」
俺の頭をくしゃくしゃと撫でつけ。
「そう言う頑固な所も、アデュそっくりだよ、君は」
ガルムさんは優しく微笑んだ。
続きます
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上記テキストは 2004年1月28日滑稽さま に頂きました。
ありがとうございます。
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